マラウイの農村で出会う子どもたちの笑顔の理由

      2016/02/21

マラウイの子どもの笑顔

最近の楽しみの一つになっているのが、農村で出会う子どもたちの輝くような笑顔! 上手い表現が思いつかないのですが、『元気』とか『明るい』という表現よりも、『輝く』という表現の方がふさわしい気がします。


一方、日本にいた時にこんなに綺麗な子どもたちの笑顔に出会っただろうかと考えると、それほど多くない気もします。ただ自分が気に留めていないだけなのでしょうか。 そんな事から、マラウイと日本の子どもたちの笑顔について書いてみました!  

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子どもたちが見せる笑顔はどこから来るのか?

マラウイの子どもの笑顔 特に、バイクで通り過ぎる時に子どもたちが道に出てきて、手を振ったり興味津々に覗き込む時に見せる笑顔。嬉しくてつい手を振ってしまいます。バイクを運転しているので写真は撮れませんが、あの瞬間を写真に撮れたらなあと思っています。   たまたま、読んだ本の一部に子どもの笑顔に関する考えが書いてありました。

貧困国の子共を見て「屈託のない笑顔」と表現する人がいますが、彼らは自分が手に入れられるモノ、入れられないモノを子共の頃から熟知しています。貧しい彼らがカメラに向かって笑顔をつくれるのは、旅行者が自分たちに向けるそのカメラさえ、自分が手に入れることは一生ないと理解しているからです。関係のない世界だから羨ましいとも妬ましいとも思わないのです。 『ゆるく考えよう 人生を100倍ラクにする思考法』 ちきりん著 第一章「ラクに生きる」より引用

うーん。。 皆さんはどうお感じでしょうか。 確かにあの笑顔には羨ましい気持ちとか、妬ましい気持ちは入ってないと思う。でも、それがある意味自分の人生に見切りをつけたような気持ちから出てくるものではないんじゃないかなあと思います。 ただ単に、観光客も来ない、車も滅多に通らない農村に外人がバイクに乗ってやってくる事が珍しいから。純粋な好奇心から来ている笑顔ではないでしょうか。 (本のごく一部分についてあれこれ言うのはナンセンスかもしれませんが・・・。)  マラウイの子どもの笑顔  

マラウイの農村に住む子どもたちの環境

服は破れていたり汚れている。靴は履いていない子もいる。学校に行けない子もいるし、壊れた自転車のタイヤを転がして遊んでいる子もいる。 服や靴がないから可哀想? おもちゃがないのが可哀想? 初めはそういう気持ちもありましたが、そういった考えは今を楽しく一生懸命生きているマラウイの子どもたちに失礼だなと反省しました。「モノがないから可哀想だ」という考えは日本で生まれ育ったから感じてしまう訳で、マラウイには当てはまらない。 「アフリカ、子ども、笑顔」でGoogle検索したところ下記のコラムを見つけました。

開発途上国に住む子どもたちは、富 裕な国の子どもたちに比べて、物理的にも精神的にも困難な状態の中で暮らしています。(中略)私は世界中どこへ行っても子どもたちが幸福な顔をしていることを、実感としてもっていましたが、どうしてそうなのか深く考えたことはありませんでした。(中略) その理由が少し分かりかけてきました。大人より子どもに笑顔が多いのは、年少の 子どもにとって幸福の源泉は、生きているということそのものと、家族や友達などの身近にいる人の存在だからです。戦火を逃れて難民になっても、乳児は母親 に抱かれているだけで笑顔をみせます。自分が母親に愛されているだけで幸福なのです。 ベネッセ教育研究所 コラム「今を生きる子どもたち」より引用

なるほど。ご飯を食べられる、服がある、家族がいる・・・日本では幸せに生きるための前提条件が、マラウイなどの国では十分条件なんですね。 マラウイの子どもの笑顔  

日本の子どもたちの環境

一方、日本の子どもたちの環境はどうなんでしょうか。 日本で仕事をしていた時(くもん)、多くの子どもたちは疲れている様に感じました。くもんに通う子どもたちはとても忙しい。今日はくもんが終わったらピアノで、明日はサッカーの練習で、合間には学校の宿題もやらなきゃいけないし・・・と複数の習い事を掛け持ちしている子が多いことにとても驚きました。 日本では子どもがやるべきことに追われ、「忙しい」と言っているのです。 でも、日本の子どもたちがマラウイの子どもたちの様に輝く笑顔をしなくなったのかというと、そうではないと思います。   くもんで教室の指導者を1年間していた時の事。 当時小学校1年生だったKくんは、2年生相当の3ケタのひき算問題に苦戦していました。目安の解答時間を大きく超えていて、「もう少し易しいところに戻った方がいいかな・・・?」と悩んでいましたが、本人は「できる!」と戻る事を拒否。何回か復習した事で最初の苦戦が嘘のようにスラスラと解けるようになりました。 大人しい生徒でしたが、「先生、できたよ。」とちょっと照れながらも見せてくれた笑顔が今でも印象に残っています。 彼はサッカーも習っていて、「忙しい」子どもでした。『やればできる』という経験を積んで自己肯定感が育まれたならば、日本の多くの子どもたちも、忙しさに押し潰されることなく、輝くような笑顔を見せてくれるのではないでしょうか。 Kくんが見せた笑顔は、マラウイの子どもたちが見せる笑顔と通じるものがあると感じています。  

マラウイの子どもたちのために私ができること

私の協力隊としての要請内容と照らし合わせて、マラウイでできそうなことはメイズ(とうもろこし)の収量増加を通じた農民の収入向上です。ボランティアとはいえ、やるべきことはある程度決まっているので、その中でマラウイの子どもたちに貢献していきたいです。 活動の方は上手く行かないことだらけですが、子どもたちの笑顔に元気をもらいながらこれからも頑張ります! マラウイの子どもの笑顔 Zikomo!(マラウイのチェワ語で「ありがとう」)

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